美学・美術史専攻
美学・美術史専攻 修士論文題目一覧
修了年度 | 題目 |
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2022年(令和4年) | リチャード・セラ≪傾いた弧≫をめぐる論争 —作品の設置規約との関係性から |
ジャン=レオン・ジェロームによる彩色彫刻≪タナグラ≫の制作動機とその理念 | |
2021年(令和3年) | サルバドール・ダリの核神秘主義時代におけるデペイズマンとシミュラークル |
京都・浄瑠璃寺四天王立像の制作背景について | |
中近世における龍図の研究 —様式・意味・制作背景— | |
アンディ・ウォーホルの≪レディース・アンド・ジェントルメン≫について —ジェンダー表象の曖昧性をめぐる考察— | |
エドゥアール・マネ≪オランピア≫の版画化について —オリジナルと複製の間で— | |
2020年(令和2年) | ディエゴ・ベラスケス作《ラス・メニーナス》研究史におけるミシェル・フーコーの影響 |
サルバドール・ダリの核神秘主義時代におけるデペイズマンとシミュラークル | |
フィンセント・ファン・ゴッホ作《烏のいる麦畑》における群れ飛ぶ烏の象徴的・構図的意味について | |
アレクサンドル・カバネルの《ヴィーナスの誕生》—主題と身体表象にみられる独自性— | |
2019年(令和元年) | 薬師寺金堂薬師三尊像の研究 |
「無用の長物」が芸術を「超/越」えるとき --超芸術トマソンに見る機能の変貌 | |
ジャン・リュルサ≪女と竜≫について -マリー=アラン・クチュリエ神父のモダニズム観との関係から- | |
主客混交する芸術作品 -インガルデンの「純粋志向的対象」論について- | |
2018年(平成30年) | アントニオ・ロペスのリアリズム -都市景観画を中心に- |
バレエ・リュスの音楽における虚像としての「オリエント」表象 -≪クレオパトラ≫の制作を巡って- | |
ミュリナ出土のテラコッタ・ニケ像の制作背景 | |
ドミニク・アングルの女性像 -その特異性と淵源- | |
モノと人との接点から、人と人との接点へ -芸術的実践と並走する現代の美術館教育普及活動- | |
勅使河原蒼風のいけばな理論 | |
ジャクソン・ポロック≪ナンバー29、1950≫について -ジャンル横断効果の視点から- | |
2017年(平成29年) | スジーニの解剖学模型—その逸脱と回帰 |
G.F.ワッツの<顔の表情を隠す>表現 | |
ジャン・デルヴィルの理想主義絵画—象徴主義との関係から— | |
2016年(平成28年) | 独ソ戦期ソ連におけるプロパガンダ美術の中のロシア像の復興 |
ハリー・クラーク『アンデルセン童話』の挿絵におけるステンドグラスの影響 | |
フェリックス・ヴァロットンの室内画の不安の要素—1890年代の室内画を中心に— | |
エミール・ノルデの宗教画とプリミティヴィズム | |
ジョヴァンニ・ベッリーニの「悲しみの人」—空間表現の展開とその意味 | |
アルフレッド・シスレーの描くイール=ド=フランス—風景画における地誌的表現の視点から— | |
舟越保武《長崎二十六殉教者記念碑》の制作意義—慰霊碑としての役割を中心に— | |
2015年(平成27年) | ロセッティの1860年代作品とヴェネツィア美術 -形式と表現理念からの考察- |
新薬師寺薬師如来坐像 -制作年代と背景をめぐる考察- | |
平安時代の神像について -松尾大社の三神像を中心に- | |
東寺講堂 五大明王像の造形の源流と空海の思想 | |
ジョセフ・コーネル <<無題(シャボン玉セット)>> (1936年) から見るヴァニタス的制作実験について | |
ヴィアン <<アモルを売る女>> -制作意図に関する一考察- | |
振幅する境界 オーギュスト・ロダン作 <<生命の夢>> に於ける現象と構造 | |
2014年(平成26年) | 黒田清輝≪野辺≫に託された真意 |
ドラクロワの『ハムレット』主題作品に関する一考察-ロマン主義的な作品観との相違- | |
スクロヴェーニ礼拝堂北扉の装飾についての一考察 | |
ロッソ・フィオレンティーノと16世紀初頭のフィレンツェ美術 -なぜロッソはフィレンツェを離れたのか |
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2013年(平成25年) | シミュレーション的、インデックス的 :デジタル時代の劇場用アニメーションにおける現実らしさ |
高幡山金剛寺不動明王及二童子像について | |
運慶に関する基礎的考察 | |
相阿弥筆大仙院四季山水図に見る筆様の多様性をめぐって | |
コロー≪ナルニの眺め≫再考 —風景画史上の位置づけをめぐって— | |
「『少女の友』における中原淳一」 | |
2012年(平成24年) | ギュスターヴ・モローの《サロメ》と《出現》 —境界を跨いで |
ジェームズ・マックニール・ホイッスラー「6つのプロジェクト」 | |
エドゥアール・マネの立体表現について —1860年代の油 | |
周縁の女神 ルーカス・クラナッハ(父)後期女性像の独自性とその形成要因 | |
エゴン・シーレの2人の女性像 —いわゆる「レスビアン」 | |
芸術リートとしてのメンデルスゾーン・リート ドイツ・リート史に おける新しい位置づけによって |
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2011年(平成23年) | ティントレットのマドンナ・デッロルト聖堂内陣対作品の主題選択の意味について |
違和感という魅力 感性的質から見たアール・ブリュット | |
オディロン・ルドン≪聖アントワーヌの誘惑≫の物語性について | |
河鍋暁斎筆「観世音菩薩像」考 —山岡鉄舟と何礼之との交流を通して— | |
ジョン・エヴァレット・ミレイとファンシー・ピクチュアの革新 | |
ドラクロワにおけるゴヤの影響 —≪ロス・カプリチョス≫による誇張表現を中心に— | |
グイド・レーニ作品におけるラファエッロとカラヴァッジョの受容 —≪嬰児虐殺≫を中心に— |
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建築物とは地球の皮膚である | |
2010年(平成22年) | 雪舟筆「四季山水図」(石橋美術館別館)考 |
神奈川県・円応寺初江王坐像の再考 | |
ムンクと女性 —女性表現からムンク像を考える— | |
ルノワールと過去の美術の関わりについての一考察 | |
ビアズリー作品における線描表現 —ライン・ブロックからの考察— | |
バンボッチョの芸術の形成とローマにおける外国人サークルの人的交流 —17世紀初頭のローマにおける芸術的多様性の観点から— |
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ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ作≪プロセルピナの略奪≫ —ベルニーニの初期彫刻におけるその位置付けに関する一考察 |
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C.D.フリードリヒの宗教観 ~樫のモチーフを中心に~ | |
16世紀オスマン帝国期大モスクの独自性について —シナンのモスクを中心に— | |
2009年(平成21年) | パブロ・ピカソの女性観における《ミノタウロマキア》 |
エゴン・シーレ研究 —人物画の制作背景を中心に— | |
エドワード・ポッパーにおける光 | |
2008年(平成20年) | 庵野秀明のオタク批判 -『新世紀エヴァンゲリオン』、 『ラブ&ポップ』、『式日』、『Re:キューティーハニー』を中心に- |
唐招提寺大日如来像の制作年代と造像背景について | |
サルバドール・ダリ、神話的複製 -1950年代の「磔刑」の反復を中心に- | |
オスカー・ココシュカの人形制作 -初期作品との関連からの考察- | |
イギリス・カントリー・ハウスにおけるアダム様式 -グランド・ツアーおよびピクチャレスク論争による展開- |
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シャルダン、静物画への回帰 -同時代の風俗画との関連において- | |
セシリア運動とモーツァルト批判 -19世紀におけるモーツァルト教会音楽の受容と評価をめぐって- |
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2007年(平成19年) | フェリックス・ヴァロットンの室内画の意義 |
世界を切り開く芸術作品 | |
土佐派の「柳橋水車図屏風」について | |
トゥールーズ・ロートレックにおけるジャポニスムの影響 -浮世絵との色彩・構図・題材・人物表現の比較- |
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2006年(平成18年) | 敦煌莫高窟に於ける天井装飾の研究 |
「賀茂祭草紙」研究 <本文編> <図版編> | |
赤間神宮蔵「安徳天皇縁起絵伝」について -制作に関する考察- | |
善光寺式阿弥陀三尊像の源流について | |
日本における「宝冠釈迦如来」の受容と変化 | |
マルシーリオ・フィチーノの詩人論にみる文芸の道徳教育的性格 | |
帳良図研究 -室町時代扇面図「帳良進履図」を中心に- | |
仏像制作過程における「御衣木加持」の研究 | |
パピエ・コレと「総合的」キュビスムの収束 -制作意識の違いに見る、ブラックとピカソのキュビスム- |
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2005年(平成17年) | バーン=ジョーンズ《受胎告知》をめぐって |
石山寺蔵仏涅槃図について -その図像の位置付けと特色- | |
フェルナン・クノップフ《孤立》三幅対について | |
「百鬼夜行絵巻」研究 <本文編> <図版編> | |
「清明上河図」研究 -転換期絵図の諸相- <本文編> <図版編> | |
2004年(平成16年) | 日本における合唱組曲の研究 -その統一的要素に関して |
快慶及びその周辺作品にみる阿弥陀三尊形式の成立と展開 <本文編> <図版編> | |
長澤蘆雪筆「降雪狗児図」について -黒白への好奇- <本文編> <図版編> | |
ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ≪バルダッキーノ(大天蓋)≫研究 <本文編> <図版編> | |
J.W.ウォーターハウス作≪シャロットの女≫ --1888年前後の様式転換をめぐって-- |
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チェコにおける日本美術の受容について 1863 — 1913 | |
モーリス・ドニに見られる楽園表象 -≪プシュケの物語≫を巡って- | |
伝能阿弥筆「三保松原図」について | |
ブロンズィーノのエレオノーラ礼拝堂壁画装飾について -祭壇画の図像プログラムを中心に- |
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ギュスターヴ・モローの人物表現に関する 一考察-伝統からの脱却,そして理想の歴史画へ- |
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2003年(平成15年) | 吉祥天像の服制に関する考察 |
シャガール・ステンドグラスの光とマチェール~20世紀のアール・サクレ~ | |
アポロン的芸術と哲学との差異:初期ニーチェにおける不明瞭 | |
狩野元信印「富士参詣曼陀羅」研究 <本文編> <図版編> | |
ソナタ形式の存在論 -モーツァルトのクラヴィーア・ソナタにおける「主題Subiectum」概念の研究- |
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俵屋宗達筆「松島図屏風」をめぐって—広がりゆく世界 <本文> <図版編> | |
「選ばれたものだけが立派に選び、実際に選ぶ」(ドゥルーズ) :エリック・ロメール監督『モード家の一夜』におけるその映画的表現 |
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ジョン・ケージ『サイレンス』における環境美学 | |
耀州窯青磁の研究 -五代を中心として- <本文> <図版編> | |
2002年(平成14年) | フランス風クーラントの舞踏性と、そのドイツにおける受容について |
消失点にある身体 花柳寿南海の素踊り「都見物左衛門」 | |
アントワーヌ=ジャン・グロとオリエンタリズム ナポレオン戦争画をめぐるいくつかの考察 |
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桃山茶陶と織部焼の意匠 | |
汝窯清磁の器形と文様について <本文> <図版集> | |
写真の物質性 ロバート・メイプルソープの写真から | |
田口掬汀と『中央美術』 | |
2001年(平成13年) | 国立歴史民俗博物館蔵「韃靼人狩猟打毬図屏風」をめぐって <本文編> <図版編> |
六朝時代の青磁に関する一考察 中国南方への青磁の展開 <本文> <図版> | |
『美人画』にみられる「影」の研究 鏑木清方を中心に | |
マチスの1930年代後半における油彩考察 《ラ・ポエジー》を中心に | |
J.M.W.ターナーにおける画風展開 光と主題の検討をとおして | |
ギュスターヴ・モローのマチエール試論 装飾工芸としての絵画 | |
フィリッピーノ・リッピにおけるビッザーロ[奇矯な]表現に関する一考察 | |
他者を提示する肖像写真 北島敬三『Portraits』から | |
明代の輸出青花磁器に関する一考察 | |
エドヴァルド・ムンクの《歴史》 20世紀初頭のノルウェーにおける装飾絵画への取組み |
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砂澤ビッキ論 「アイヌ工芸」と「近代彫刻」の境を越えて | |
エドゥアール・マネのカフェを主題とした作品と 同時代のモードとの関わりについて |
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2000年(平成12年) | ブリューゲルの作品にみる時間的・空間的連続性 |
ボロブドゥール隠れた基壇浮彫図に関する一考察 <本文> <図版> | |
ポール・セザンヌ《首吊りの家、オーヴェール=シュル=オワーズ》の 印象主義様式における位置及び意義についての考察 |
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ボイデル・シェイクスピアギャラリー 18世紀イギリス美術におけるその位置付け |
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奈良時代における木彫像と来朝僧 -唐招提寺と大安寺- <本文編> <図版編> | |
エドワード・ホッパー メディウムの変遷とその役割 | |
絵画的マチェールと作者性 -構築的時代以前におけるポール・セザンヌのタッチに関する考察- |
美学・美術史専攻 博士論文題目一覧
学位授与年度 | 題目 |
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ファンシー・ピクチャー研究 -英国における「かわいい」美術の系譜 | |
ピカソのモダニズム的古典主義 前衛と伝統が共存する創作の10年 | |
教皇ウルバヌス8世の治世における蜜蜂表象に関する研究:ベルニーニの《バルダッキーノ》とサン・ピエトロ大聖堂の装飾事業を中心として | |
2012年(平成24年) | フランス風クーラントの舞踏リズムの研究 |
リヒァルト・ワーグナーの「モティーフ」と,ドラマにおけるその用法について —音楽を手段としたドラマ表現とは何か— |
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2009年(平成21年) | 唐代龍門石窟の研究 —造形の思想的背景について |
2007年(平成19年) | パウル・クレーの1916-1921年の文字絵 -作品の構成、テクストの形式と内容を巡る考察- |
2002年(平成14年) | 9・10世紀の越州窯青磁についての考察- |
敦煌壁画に見る風景表現の研究 |