成城大学

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柳田國男について

柳田文庫

柳田文庫の誕生

財団法人民俗学研究所の設立から10年後の昭和32年に、研究所は初期の目的を十分に果すことができず、法人組織の制約からくる条件や経営難から解散のやむなきに至った。そこで、柳田の所有にもどされることになった蔵書や民俗資料を成城大学に寄託したのである。この移管をめぐり、幾つかの大学が名乗りをあげ、結局、本学となった事情は、鎌田久子本学名誉教授が『成城学園六十年』に書いているので、ここではそれを要約しておく。

当時、この本を使用されていた先生は、移管して後も直ちにそのまま継続して使用できることが第一条件だった。こうした先生の内々の希望を、かねて成城高校在学中から先生に師事されていた今井冨士雄教授が察知されて、柳田先生と同郷の当時の図書館長であった池田勉教授に相談され、成城大学に保管することを申し出たのである。折よく大学では新図書館を建築中であり、かねがね柳田先生がえがいておられた、大学の他の建造物から独立したもの、さらに出入口が門に近いということなども含んだ建造物であった。散歩の途次ここに立ち寄られた先生は、書庫を御覧になり、非常に喜ばれて、蔵書移管を決意されたようである。 昭和32年8月15日、旧研究所代表理事の大藤時彦、本学側から池田勉・今井冨士雄が立ち合って正式に寄託が決定された。9月には当時の文芸学部の学生達がリヤカ—をひいて、約2万冊の蔵書を3日間かけて運んだ。書庫に運び入れた本は、旧研究所の書棚にあったのとほぼ同じように並べたのである。

「柳田文庫」は、最上段は小型の本または重要な書籍、2段目は叢書類、3段目は郡誌地誌類、4段目は雑誌というように一般的な図書館とは違った並べ方をしている。つまり書架を縦に使うのではなく、横に帯状に使うやり方である。こういった並べ方や柳田の分類方式は、現在でも原則として変ってない。蔵書内容は、民俗学関係ばかりでなく周辺諸科学にわたるもので、特に、晩年まで関心を持ち続けた南島研究については、自分の収集した文献を基にして、さらに推し進めるように本学に要望したのである。本学では、翌33年4月、柳田の要望にこたえるため、故大藤時彦(本学名誉教授であったが、平2.5.18没)を中心として文芸学部に文化史コ—ス(現・文化史学科)を設立した。文化史コ—スという名称は柳田の発案によると聞いている。 12月には、文芸学部の顧問に就任し、暇を見つけては柳田文庫に立ち寄る日々が続き、若い民俗学徒の研究会等にも参加し、種々の話をされたそうである。
 しかしながら、昭和37年8月8日、その輝かしい87年にわたる生涯を静かに終えられたのである。逝去後、寄託されていた蔵書は、遺言により、全て成城大学に寄贈され、先述のように当時の新図書館の一角に「柳田文庫・民俗学研究室」が誕生した。そして、昭和48年にこの「柳田文庫」を母体として本学の付置研究所である「成城大学民俗学研究所」が創設されたのである。

柳田文庫蔵書内容

本学では、柳田國男逝去時に寄贈された書籍の目録を『柳田文庫蔵書目録』として昭和42年に刊行、平成15年に『増補改訂 柳田文庫蔵書目録』を刊行した。蔵書は民俗・郷土誌関係・歴史を中心として広く関連諸科学にわたっている。また、和書だけでなく、洋書への関心と蒐集についても、当時の我国の学問水準の最先端に位置していた。特に、人類学関係は、学史上重要な文献が網羅されている。これら蔵書は、柳田の学問の幅広さと奥深さとを物語るものである。蔵書目録の分類は、柳田の草案を基にし、民俗学の図書館としての機能をも考慮して、大藤時彦(当時、文芸学部教授)を中心とする当時のスタッフが作成したものである。冊数は、和漢書約15,500冊、洋書約1,500冊、逐次刊行物約1,500種である。(本学に寄贈されたものが柳田の全蔵書ではなく、農政関係は帝国農会へ、方言関係書物等は、昭和19年に、慶応義塾大学言語文化研究所に寄贈されている。)詳しくは、『同文庫蔵書目録』を御覧いただきたい。ここでは蔵書の中で特記すべき書籍を挙げておく。

  1.柳田自筆稿本 「三倉沿革」(大学院時代の研究ノート) 「高野山文書研究」(7冊,書写)
  2.採集手帖と山村調査記録
     (1) 山村手帖(昭 9~12)……70冊
     (2) 沿海手帖(昭12~15)……32冊
     (3) 食習手帖(昭14~17)……59冊
     (4) 離島手帖(昭25~27)……12冊
  3.諸國叢書(116冊)
  4.南方来書(10冊)
  5.南島文献

その他、柳田の蔵書を見て気づく特徴的な点は、注意点や読後感等を朱書きしたものがあるということである。自著の場合「校訂用」とか「保存用」、あるいは「家蔵用」と記しているものがあり、誤りを訂正したり、加筆して再版に備えているものもある。半面、「此本ハもう言い替へねバならぬことが多くなって居るが、二十年前の仕事として一冊だけ保存して置く 著者」(『郷土生活の研究法』表紙)と記されている本も見られる。自著以外でも関心を抱いたと思われるものについては、「印象鮮カナリ、問題多シ……」等と記していたり、「○、▽、△、∨、×」印をつけたりしている。この印の意味は、本によって若干違いも見られるが、二、三の本に記されている柳田の朱筆から拾ってみると次の様になる。

○ …… サシアタリノ問題ニ入用ナ点
▽ …… 民俗語彙ニ利用スベキ(或は)入レタキ点
△ …… 考ヘテヲクベキ事実(或は)新ラシク気ノツイタ点
∨ …… モウ一度見タイ点
× …… 誤リ、(自著では)再版ノトキ正スベキコト

この様な印や記述を追うことによって、柳田の下した評価と関心とを、ある程度推しはかることができる。