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「能」や「狂言」の世界から、
日本文化の源泉に触れる
中世文学ゼミナール
文芸学部 国文学科 大谷 節子 教授
能や狂言の世界がわかれば、
古典がもっとおもしろくなる
高校生のみなさんの中には、能や狂言に「古臭いもの」「退屈なもの」というイメージを持っている人もいるかもしれません。しかし、そうした固定観念を取り払って自分の目で見てみると、そのおもしろさの深淵に驚くはず。能や狂言は、古典の魅力をぎゅっと凝縮したプリズムのようなものです。
井原西鶴や松尾芭蕉、夏目漱石も能の謡(うたい)を教養として身につけたうえで、作品を書いていました。能や狂言を学ぶと、その後の時代に出てきた、さまざまな古典の社会背景がわかるようになり、古典をより楽しめるようになるはずです。
仏教の難解な教えを
例え話でわかりやすく
能や狂言は、仏教の儀式の場、法会を母体としています。お坊さんは仏教の教えを説くために民衆の前で説教をするのですが、そのまま聞いても難解ですし、退屈してしまいますね。そこで、わかりやすい比喩を用いて物語に仕立てたものが能になり、狂言になっていったという流れがひとつあります。
狂言には愚かな登場人物が出てきて失敗する話がたくさんあります。「愚かなことをしてはいけません」といくら言っても、愚かな失敗をしてしまうのが人間です。笑いながら話を楽しみ、いつしかわが身の愚かさに気づき、仏の教えを学んでいたのです。

能や狂言は「おもしろ」と「をかし」
まずは出会うことから
能は世阿弥によって大成されたと言われています。演者として初めて文字を残した世阿弥は、能に関するたくさんの言葉を残しました。その世阿弥が最高の賛辞として価値を置いていたのが「おもしろ」という言葉。今まで見たことのないものを見て、ハッとしてアッとわかる、これが「面白」であり、次の瞬間には消えてしまう「花」のようなものだ、というのが世阿弥の哲学だったのです。
能や狂言は決して堅苦しいツマラナイものではありません。まずは出会うこと。
上質な文化である「笑い」を。
当時の社会背景から探る
ゼミでは能や狂言をテーマに、学生がそれぞれ興味を持った作家や作品を研究しています。作品の中には、今見ても何がおもしろいのかわからない、というものもあります。そうした作品のおもしろさを理解するためには、まずは当時の社会背景や文化を理解していくことが欠かせません。
実は「笑い」は、とても上質な文化。ことばは人を攻撃する武器にもなりますが、人を救うこともできます。自分で資料や文献を調査し、自分の目で「おもしろさ」を見つけてほしいと思います。
