| 1875(明 8)年 |
7月31日、兵庫県神東郡田原村(現神崎郡福崎町)辻川で、松岡家の六男として誕生。 |
| 1884(明17)年 |
9歳の時、一家で兵庫県加西郡北条町に転居、そこで飢饉を体験。 |
| 1885(明18)年 |
高等小学校卒業後、辻川の蔵書家三木家に約1年間預けられ、終日読書にふける。 |
| 1887(明20)年 |
12歳の時、茨城県北相馬郡布川町(現利根町布川)で開業医となった長兄鼎の許に寄居。 |
| 1890(明23)年 |
15歳の時、 上京して兄の井上通泰宅に寄居。
この頃、森鴎外の所に出入りする。 |
| 1892(明25)年 |
歌人松浦萩坪に師事。
田山花袋・島崎藤村・国木田独歩らと親交、歌や新体詩を作る。 |
| 1893(明26)年 |
第一高等中学校に合格。
兄井上通泰の合格祝いの招きで、故郷の辻川や生野に旅行。 |
| 1896(明29)年 |
21歳の時、7月に母たけ死去。肺尖カタルを患い犬吠崎で保養。
9月に父操死去。 |
| 1897(明30)年 |
第一高等学校(第一高等中学校改称)卒業。
東京帝国大学法科大学政治科に入学、松崎蔵之助(農政学)に師事。
「野辺のゆきゝ」を『抒情詩』に発表後、称賛を博するものの、抒情詩の世界と訣別。 |
| 1900(明33)年 |
東京帝大卒業後(大学院在籍は明38まで)、農商務省に勤務。
早稲田大学で農政学を講義。 |
| 1901(明34)年 |
柳田家の養嗣子になり入籍(3年後、直平四女孝19歳と結婚)、牛込加賀町に転居。 |
| 1902(明35)年 |
法制局参事官になる。内閣文庫の蔵書をよく読む。 『最新産業組合通解』著。 |
| 1905(明38)年 |
全国農事会の幹事になる。花袋・藤村・独歩らと竜土会を発足させる。 |
| 1908(明41)年 |
兼任宮内書記官になり九州旅行、椎葉で狩の故実を聞く。
佐々木喜善より遠野の話を聞く。 |
| 1909(明42)年 |
長女の三穂出生。東北旅行(はじめて遠野を訪れる)。
『後狩詞記』を自家出版。 |
| 1910(明43)年 |
35歳の時、兼任内閣書記官記録課長になる。新渡戸稲造宅で「郷土会」創立。
南方熊楠との文通開始。『石神問答』『遠野物語』『時代ト農政』著。 |
1912
(明45・大1)年 |
次女の千枝出生。フレーザーの『黄金の小枝』(金枝篇)を読み始める。 |
| 1913(大 2)年 |
高木敏雄と協力して雑誌『郷土研究』を創刊。
『郷土研究』に「巫女考」等53編を執筆。 |
| 1914(大 3)年 |
紀州の南方熊楠を訪問。貴族院書記官長になる(~大8)。
高木が『郷土研究』から手を引き一人で執筆と編集を行う。
『山島民譚集(一)』(『甲寅叢書』3)著。 |
| 1915(大 4)年 |
40歳の時、長男の為正出生。御大礼・大嘗祭に奉仕、講演旅行もする。 |
| 1917(大 6)年 |
三女の三千出生。台湾・支那・朝鮮旅行。
『郷土研究』4巻12号で休刊、一人で執筆。 |
| 1919(大 8)年 |
四女の千津出生。九州旅行。貴族院書記官長を辞任。 |
| 1920(大 9)年 |
東京朝日新聞社客員になる。東北旅行。
沖縄旅行(~翌3月)。『爐辺叢書』を出版。 |
| 1921(大10)年 |
「国際連盟委任統治委員」(~大12)になり渡欧(アメリカ・欧州各地を旅行)して帰国。 |
| 1922(大11)年 |
東京朝日新聞論説班員(~昭5)。再渡欧(ドイツやイギリス等を旅行)。 |
| 1923(大12)年 |
関東大震災の報を受け帰国。委任統治委員を辞任、自宅で民俗学の談話会を開く。 |
| 1925(大14)年 |
雑誌『民族』を創刊(~昭4)。『海南小記』著。 |
| 1927(昭 2)年 |
52歳の時、北多摩郡砧村(現世田谷区成城)に大きな書斎がある家を建てて転居。 |
| 1930(昭 5)年 |
『菅江真澄遊覧記』刊行記念会で「民間伝承論大意」を講演、《一国民俗学》を提唱。
東京朝日新聞社論説委員を辞任(~昭22まで客員、その後社友)。
『蝸牛考』著。 |
| 1931(昭 6)年 |
神宮皇学館で「郷土史の研究法」等を講義。『明治大正史 世相篇』著。 |
| 1933(昭 8)年 |
『島』を編集・発行。自宅で「民間伝承論」の講義(12回)。『桃太郎の誕生』著。 |
| 1934(昭 9)年 |
木曜会、全国山村調査開始(~昭11)。書斎を郷土生活研究所にする。
『民間伝承論』著。 |
| 1935(昭10)年 |
「日本民俗学講習会」開催。「民間伝承の会」設立、『民間伝承』創刊。
『郷土生活の研究法』著。 |
| 1936(昭11)年 |
全国昔話の採集調査開始(~昭13)。『地名の研究』『山の神とヲコゼ』著。 |
| 1937(昭12)年 |
丸の内ビルで「日本民俗学講座」を開講(~昭15)。全国海村調査開始(~昭14)。 |
| 1941(昭16)年 |
「第12回朝日文化賞」受賞。東京帝国大学で「日本の祭」を講義。 |
| 1942(昭17)年 |
次女の赤星千枝死去。国民学術協会理事になる。
『こども風土記』『日本の祭』著。 |
| 1945(昭20)年 |
成城高校で「家と霊魂の話」をする。『村と学童』著。 |
| 1946(昭21)年 |
「話し方教育の会」を開く。枢密顧問官になる。『先祖の話』『祭日考』著。 |
| 1947(昭22)年 |
木曜会を発展的解消、自宅に民俗学研究所(翌年財団)を創設。
帝国芸術院会員になる。
文部省社会科教育研究会委員になる。
『口承文芸史考』『山宮考』『氏神と氏子』著。 |
| 1948(昭23)年 |
東京書籍の小学・中学国語科検定教科書の監修を受諾(後に高校も監修する)。 |
| 1949(昭24)年 |
日本学士院会員になる。「民間伝承の会」を「日本民俗学会」と改称、発足、会長。「日本を知るために」講演。成城学園教師のために社会科研究会を開く。 |
| 1950(昭25)年 |
國学院大学教授を受諾。全国離島村落調査開始(~昭27)。 |
| 1951(昭26)年 |
「第10回文化勲章」受章。『民俗学辞典』が「毎日出版文化賞」受賞。 |
| 1953(昭28)年 |
折口信夫追悼会で講演。成城学園教師と共に小学生の社会科教科書『日本の社会』編纂。 |
| 1957(昭32)年 |
(財)民俗学研究所解散。成城大学へ蔵書寄託。成城大学文芸学部顧問を受諾。 |
| 1958(昭33)年 |
要望に応え、成城大学では文芸学部に文化史コースを設立。成城大学図書館で話をする。 |
| 1959(昭34)年 |
稲作史研究会に出席。成城大学で舟の話をする。『故郷七十年』著。 |
| 1961(昭36)年 |
『定本柳田國男集』の出版決定。『海上の道』著。 |
| 1962(昭37)年 |
米寿記念祝賀会。8月8日、満87歳で死去。遺言で成城大学に蔵書寄贈、「柳田文庫」誕生。 |