荒畑靖宏研究室
自己紹介という名の回想

 私の出発点はなぜかハイデガー(Martin Heidegger)でした。この「なぜか」はいまもって取ることができません。私はいまも、なぜ自分がハイデガーを主な飯の種にしているのか、そしてなぜ周囲の人も(まことに寛大なことに)私を「ハイデガー研究者」の端くれとして認めてくれているのかが、分からないのです。私のハイデガーの読み方は明らかに正統派ではなく、邪道も邪道、しかもハイデガー哲学のもっとも根幹にかかわる部分を注で軽く「ここはワカランから扱わん」と断っておいてスルーする、という卑怯なやり方を貫いてきたからです。そんな私がもっとも嫌いなのは、ハイデガーの言葉(現存在、世界内存在、気遣い、配慮、顧慮、被投性、企投、先駆、覚悟性、良心の呼び声、情状性・・・)をそのまま使ってパズルをしているだけの人です。いや、哲学的「問題」など本当は存在せず、あるのはただ哲学的「パズル」だけだという、私が心から畏敬するある人物の信条を私も共有しているのだから、哲学の名の下にパズル解きだけをしている人は、私はけっして嫌いではないはずです。ただ、ハイデガー・パズルはあまり楽しくないし、なによりもまったく美しくないからなのです。

 話しを元に戻しましょう。ハイデガーをハイデガーのまま読むことも肯んじ得ないし、ハイデガーがかつてアリストテレスやフッサールを読んだ時のように、原型が分からなくなるほど彼の哲学を換骨奪胎する能力もない私が、なぜいまだにハイデガーを読み、たまにハイデガーについて書き、授業でハイデガーについて話しているのか──ごく最近私は、自分のウィトゲンシュタイン(Ludwig Wittgenstein)研究のスタイルを反省してみて、その理由がうっすらと分かったような気がしました。

 私が大学院生だった頃、先生方は学生がウィトゲンシュタインを「研究する」ことをひどく忌み嫌っていました。彼が正確なところ何を言っていたのかを突きとめることは、彼の哲学的精神に反するというのがその主な理由だったのでしょうか。英文学者がシェイクスピアを研究するのと同じように哲学者がウィトゲンシュタインを研究することには何の意味もないのだと。ところが、彼以降に急速に発展を遂げた20世紀後半の分析哲学においては、彼の主張や議論はすでに常識にこそなってはいても、もはやあらためて考え直してみる価値はないと考える分析哲学者たちが多かったのです。彼にシンパシーを覚えていた分析哲学者たちも、いろいろな意味で彼の議論は現代の緻密な論争状況の中には参加させにくいと感じていたのではないでしょうか。そんな風潮の中で修業時代をおくった私は、触らぬ神に祟りなしとばかりに、ウィトゲンシュタインに惹かれながらも、ともかくハイデガーを中心として博士論文を書くことだけに専念したのです。

 もちろんその自制は、ドイツで博士論文を書き上げた途端に瓦解しました。論文提出から口頭試問までの半年を、私はウィトゲンシュタインに没頭することによって過ごしました。ところが、その時たまたまフライブルク大学で受けていた『確実性について』の講読の授業が影響したのか、ウィトゲンシュタインをドイツ哲学の伝統の中に置いて読むというのが私の手法になってしまったのです。

 もはや明らかでしょう。要するに私は天の邪鬼で、正攻法が嫌いなだけなのです。だから、ハイデガーを「あえて」分析哲学の手法で、ウィトゲンシュタインを「あえて」ドイツ哲学的な手法で読もうとしたのだと思われます。正攻法だと勝負にならないから逃げているだけなのだと言われても仕方ありません。だって、正攻法で読まれたハイデガーも、分析哲学博物館に陳列されているウィトゲンシュタインも、どちらも面白くないのだから仕方ありません。ところが、これが瓢箪から駒というのでしょうか、そのように私によって「歪められた」二人の哲学者が私の眼前で思いがけない化学反応を示したのです。これだから哲学は分からない。そんなわけで目下の私の興味関心は、どこまでこの二人の巨人を哲学的バディとして読めるかということにあります。

 自分の話ばかりして申し訳ありませんでした。最後になりましたが、こんな荒畑研究室で研究しようという学生さんに求められることはただひとつ、けっして自分のこだわりを捨てないこと、周囲のプレッシャーに負けてそのこだわりを捨てざるをえないなんてことにならないように、とにかく強くなることです。その一途なこだわりの先に何が見えてくるのかは、誰にも、もちろんあなた自身にも分からないのですから。





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