文芸学部

感動とは

芸術学科教授 岩佐 光晴

日本に本格的な戒律を伝えたことで知られる鑑真和上の伝記に『唐大和上東征伝』(とうだいわじょうとうせいでん)があります。その冒頭で、鑑真が14歳の時に、父に連れられて行った揚州大雲寺の仏像を見て感動し、それによって父に出家を強く願い、許されたと語られています。このことは鑑真のその後の生き方を考えていく上で、大変重要な内容をもっていると思います。身命を惜しまず、様々な困難を経て日本に戒律を伝えた鑑真の原動力となっていたのは、まさに少年時代に仏像を見ての感動だったと思われてなりません。感動は、時として、人に偉大な力を与えるように思われます。

 それでは、感動とはどのような心の状態をいうのでしょうか。私は、感動とは、その対象のものに畏敬の念をもつことではないかと思います。その対象が自然であれ、芸術作品であれ、「いいな」「すごいな」と思った時、おそらく人は、その対象の前で純粋になり、素直になっているのだと思います。そして心が浄化され、傲慢さや邪念のようなものがなくなると、心の底から自分でも思いもよらない潜在的な力が涌いてきて、それが人を良い方向へと導いていくのではないでしょうか。これは、まさに悟りの状態に近いのかもしれません。

 私は仏像を専門に勉強していますが、造形的に優れた仏像には人の心を捉える大きな力が宿っていることを感じる時があります。仏教の知識がなくても、仏像を拝して「いいな」「すごいな」と思った時、その人は十分に教化されたことになるわけです。造形的に優れた仏像にはそうした役割が期待されていたと考えられ、逆にだからこそ素晴らしい仏像が数多く造られたのだと思います。

 『日本書紀』によると、日本に百済の国から仏教が伝来した時に、釈迦の金銅像(銅を鋳造し、鍍金を施して造られた仏像)がもたらされ、それを見た天皇が「仏の相貌(かほ)端厳(きらぎら)し。全(もは)ら未だ曽(かつ)て有(あら)ず」(仏像の容貌は厳かで美しく整っており、これまで全く見たことのないものである)と述べたといいいます。金色に輝く美しい仏像を初めて見た日本人の感動がそのまま伝わってくるようであり、こうした新しく優れた文物に接した時の強い衝撃や感動から日本の仏像の歴史が始まったともいえます。その後に多彩な展開を見せる日本の仏像の歴史の底流に流れているのは、まさに初めて仏像に接した時の日本人の感動ではないかと思います。

芸術学科には、美学、音楽学、演劇学、映画学、日本美術史、東洋美術史、西洋美術史のゼミがあり、私たちは、長い歴史の中で、多くの人々に生きる力を与えてきた感動の遺産と日々向き合っています。

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