文芸学部

学び合うために,また学びの質を高めるために「わからない」と言うこと

学部共通准教授(教育学担当) 岩田 一正

私たちは,小学校,中学校,高等学校,そして大学を通じて,主として教室という場で学んでいます.そして教室において,私たちには他者とともに学び合うことが求められています.しかし実際には,教室で学び合うことは極めて困難です.それはなぜなのでしょうか.

 教室には,他の場所と異なるいくつかの特徴があります.そのなかの一つとして,「評価」が充ち満ちているという点を挙げることができます.というのも,教室では,私たちのあらゆる行為が公のものとなり,その行為が評価されるからです.評価するのは第一に教師ですが,教室で評価を行っているのは教師だけではありません.他の児童・生徒・学生も私たちを評価しています(逆に,私たちも他の児童・生徒・学生を評価しています).さらに,教師や他の児童・生徒・学生による評価に影響を受けつつ,私たちは自分自身を評価してもいます.

 学びを「他者や教材の思考に即して考え,その思考を自分のものとすること」と捉えるならば,教師や他の児童・生徒・学生の話を聴くこと,テキストや教材を丹念に読むこと,これらを地道に行えば,教室に充満している評価とかかわりなく,自分なりに学ぶことは,ある程度は可能だと言えるのかもしれません.

 けれども,学び合うことについてはどうでしょうか.学び合いは教え合いとは異なります.教え合いの主導権は教える側にあり,教えられる側からすれば,余計なお節介となる場合もあります.一方,学び合いの主導権は学ぶ側にあります.学ぶ側が「ここ,どういうことかわからないから,教えて」と尋ね,それに対して尋ねられた側が自分にできる範囲で全力で応答することこそ,学び合う関係です.教え合うことよりも,むしろ学び合うことが教室で求められているのですが,前述したように,教室には評価が充溢しているため,他者に「わからない」と言うことが非常に難しいので,教え合いと比較すると,学び合いが生じにくくなっています.

 学び合いの障壁となっている評価を教室から抹消することは,残念ながら,不可能と言えるでしょう.しかしながら,「わからない」と言いやすい教室と言いにくい教室があることは事実です.したがって,教室において評価がどのように機能するのかを変えることはできるのかもしれません.では,教師たちのどのような児童・生徒・学生へのかかわりや教育方法が,「わからない」と言いやすい環境や雰囲気を教室にもたらしているのでしょうか,教職課程を担当している私の授業の一つでは,このことを教育実践の映像を視聴しながら分析していくことに取り組んでいます.

 「わからない」と言うことを基盤に置いた学び合いは,一人で達成する学びの質をさらに高めてくれるものです.言い換えれば,他者なしでは学びの質は高まらないのです.ですから,わからないことをほったらかしにしないで,誰かに「わからない」と言ってもらえればと思います.評価の輻輳する教室では「わからない」と言えないのなら,他の場所で言えばいいのです.また,ある教師には言いにくいということもあるのかもしれません.そのような場合には,他の子どもに尋ねればいいのです.(どのような教師の下でも学ぶことができるのが,学び上手な人だと言えるのでしょうが.)困ったときに,誰かに依存できる学び上手な人になってもらえればと思います.大学を含めて学校は,児童・生徒・学生に自律を要請しますが,依存できる人こそ,自律的な人となることができるのです.このことを,忘れないでもらえればと思います.

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