文芸学部

「さがす」「読む」「書く」—「日本史学」の醍醐味—

文化史学科教授 外池 昇

平成21年の4月に文化史学科に着任して、さっそく「日本史学」のゼミナールを担当しています。ゼミの諸君にやっていただきたいことはただひとつ。「さがす」「読む」「書く」です。

 「日本史学」というと高校生の「日本史」をすぐに思い起こされますが、「日本史」と「日本史学」とはどこがどう違うか。それがまさにこの「さがす」「読む」「書く」です。何を「さがす」のか、どう「読む」のか、何を「書く」のか。これからお話したいと思います。

 「さがす」
 もちろん「日本史学」のゼミですから「日本史学」の分野のなかからテーマを「さがす」のです。「テーマは先生の研究分野と同じ方がいいのですか」とよく聞かれますが、敢えて言えば違う方がいいです。ゼミの諸君が、教員が専門的に追究するテーマに付き合う必要は全くありません。自分の責任で決めるのです。高校の「日本史」の分野から「さがす」のもいいしそうでなくてもいいです。ただしコツはあります。いくつか候補を挙げることです。何せ提出期限の定まった卒業論文を書くのですから、それに見合ったテーマというのはあります。

 さてテーマが決まったら、次は史料を「さがす」段取りにかかります。私に言わせればこれが実に楽しいのです。大学の研究室・図書館・研究所にあるのか。なければどこに行けばあるのか。ネットを使う場合もありますが、史料を「さがす」旅にでかける場合もあります。ありとあらゆる手立てを用いて、頭と身体を使って、「さがす」のです。「さがす」ことについては私にもたくさんの思い出があります。うれしかったこと、驚いたこと、悔しかったこと、腹が立ったこと、呆れたこと等々含めて、史料との出会いはその時々の周りの情景とともに、何年経っても瞼の裏にしっかりと焼きついて消えることがありません。

 「読む」
 ここで「日本史学」についての知性と教養が問われます(!)。きちんと読まないと史料を間違って「読む」ことになってしまいます。平常心で、たっぷり時間をかけて「読む」のです。これまで様々な機会に学んできたことがここで試されます。大切なのは、「こういうことが書いてあるはずだ」などという先入観はきっぱりと捨てることです。史料を読んで史料から学びます。史料に教えてもらいます。誰が何のためにいつ著して今日までどのように伝わってきたものなのか、充分に調べます。

 もし、当初思っていたような史料ではなかった場合はどうしたらよいのでしょう。つまり、自分と史料との間の矛盾に気がついた場合です。しかし、自分と史料との間に矛盾があるのは困ったことでも何でもありません。むしろ、その矛盾がどうして生じたのかという疑問も立派なテーマになるとは思いませんか。

 「書く」
 ゼミで取り組むのは卒業論文ですから書かなければ話になりません。書きます。書いたところで読み直します。その時にはぜひ私にも見せてもらいたいものです。そして、何度も何度も書き直すことです。徹底的に推敲することです。私も論文を書く時は何度も何度も書き直します。読む人がこれでわかるかどうか。史料の引用に間違いはないか。無駄なことをしていないか。必要なことが漏れてはいないか。論文を作成するためのすべての労力の半分を推敲に費やすことができれば、その論文は成功の部類にはいるはずです。

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 こうして完成され手順を踏んで提出された卒業論文は、学科の先生方の手に渡ります。先生方は主査あるいは副査として担当を決めて全員の論文を読みます。そして面接を経て卒業論文に評価が与えられます。と書くと当たり前のことではないか、と思われるかもしれませんが、学生の皆さんはここではじめて、自分の責任でテーマを設定し相応の労力をかけ努力もした論文を通じて先生方と対話をすることになるのです。自分が書いた文章についていったいどのように読み手が受け取ってくれるのか。楽しみではありませんか?

 私は、この一連の過程をゼミの諸君とともに存分に味わいたいと思っています。大学の教師にはいろいろな仕事がありますが、こんなに楽しくて、そしてスリリングな仕事は他にありません。

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