文芸学部

真理探求の勧め

ヨーロッパ文化学科教授 村瀬 鋼

大学で、何をやりますか?

皆さんの胸のなかには様々な思いがあるでしょう。その思いは人によって違うでしょうし、一人の胸のうちも一色ではないかもしれません。色々であってよいのだと思います。でも、そんな色々をも含めて、大学でやるべきことは何か、ということをもし一言で要約するとすれば、少し固く響くかもしれませんが、それは「真理の探求」であると私は思います。

「真理の探求」とは、一つには「学問」のことです。「学問」は「真理の探求」です。「真理の探求」は西洋の古い言葉で言えば「ピロソピア」(哲学、英語ではphilosophy)に当たりますが、「ピロソピア」は「学問」の原点でもあれば総称でもあります。忘れられがちな当然事ですが、「学問」は、「利益の追求」や「趣味の愛好」や「社会への貢献」等々である以前に、また「技能の習得」や「情報の獲得」等々である以上に、まず何よりも「真理の探求」なのです。これは、やってみてください(と言うか、しないとダメです)。具体的には、何ら特別なことでも難しいことでもありません。授業に出席し、勉強すればよいのです。

けれども「真理の探求」はいわゆる「学問」には限られません。「真理」とは堅苦しい言い方ですが、これは「本当のこと」とも言い替えられます。「学問」には興味がなく苦手な人でも、生まれ、生きていて、生きていく、そのなかで必ず「本当のこと」を求めます。「嘘」や「間違い」の上に人生を築こうとする人、「偽り」や「贋物」の人生を求める人がいるでしょうか。誰しもが深いところではつねに行なっている「人生の本当」や「本当の人生」を求めるこの営み、社会生活にあっては諸事情ゆえに妥協的なものになりがちなこの営みを、あらゆる損得勘定抜きに純粋に行なってみること。たんなる「お勉強」以上に重要なことが、ここにはあります。

この営みは多様でありえます。この営みの切実さゆえに逆に既成の「学問」が嘘っぱちに感じられる、ということもあります。授業がインチキ臭くツマラナイものに思われ、サボって友人と遊ぶことの方が自分の人生にとっては間違いなく大切だと感じられる。埃の積んだ本の頁をめくっているよりも、外の空気を吸い、色々な人たちと様々な経験をする方が、「人生の本当」によっぽど近づける気がする。そんなふうに感じるのは自然です(現役教員としては認めたくない部分もありますが、実は私も学生時代、授業は随分サボったものです)。

そういう感じ、とても大事です。むろん、教員たちもそれなりに命がけで「真理の探求」をしているわけですから、授業を軽くみてはいけません(第一それでは卒業できません)。ですが、妥協なく「真理」を追求するなら、世間の自称「真理探求」に一切疑念を感じない方が不思議でしょう。自分の感じを大切にして、どんどん色々やってみてください(と言ってももちろん犯罪はダメですよ!)。「真理の探求」として真摯なものであるかぎりで様々な種類の「探求」が許容され擁護されるはずの場所と時間、それが大学であり、学生生活なのです。

さて、多様な「真理の探求」に共通の特徴の一つは「やってみなければわからない」ということです。やってみなければわからないし、やってみてわかる。以前には見えなかったことが、以後には見えるようになっていて、前と後とでは世界の眺めが、また自分自身もが変わっている。そこには驚きを伴った発見があり、その発見には必ず何か個性的なところ、自分だけの何かがある……。それは例えば「恋愛」にも似ています(と言うか「恋愛」も一つの「真理の探求」なのですが)。そこでは計算抜きにひたすら求められるものと期待を裏切って思いがけなく与えられるものとこそが肝心です。「恋愛」は外から他人事のように眺めれば退屈なものですが、内側からそれに入り込んでやってみるなら、そこにはいつものように古今東西前代未聞のかけがえのない何かが必ずあります。

「真理の探求」とはそんなふうなものです。とすればそれはほとんど「人生」そのものと同じもののようにも思われてきますが……。頑張ってください。成城大学は皆さんの試みを全力で応援しています。

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