成城大学

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国文学科

学科のあゆみ

国文学科の伝統

成城の国文学科は、昭和33年(1958)、成城大学文芸学部文芸学科(1学科)に、五つのコースを設けることとなり、その一つに「国文コース」が開設されたことに始まりました。その後、昭和51年(1976)に六学科制に移行して「国文学科」となり、今に至ります。


拾遺百番歌合(鎌倉時代写本:成城大学図書館所蔵)

とはいっても、今の成城の国文学研究の素地は、成城学園に成城大学ができる前の、国語国文学を専攻する教員らによって作られました。昭和12年(1937)に、成城学園初等科・旧制高等学校・旧制高等女学校の国語教員らによって「国語研究会」が設立されました。児童文学者の山田久寿郎や俳人の森源太郎、近代文学者の坂本浩、平安文学者の清水文雄など。この研究会が現在の「成城国文学会」に発展していきました。
この時期は、創作と研究とを両立させていた国語教員が多かったせいか、きわめて自由な文芸的空気に包まれていました。戦後、これらの教員たちから、ユニークな叢書の計画が実行に移されました。昭和23年から刊行開始された『文芸読本』45巻です。戦後の物資もない時代に、生徒らの面白く読めるものを供給したいという教員らの願望から発案されたものです。古典文学編17冊、現代文学編20冊、文芸・文化編8冊、計45冊。質素な仙花紙ながらフランス装風のこれら瀟洒な小冊は、成城独自の刊行物として今後とも記憶されるべきものでしょう。
昭和42年(1967)に大学院文学研究科ができてから、文芸学部では研究者養成の教育も徹底するようになりました。古き良き時代の詩的雰囲気の上に、アカデミズムが花開いたところが、成城大学文芸学部の魅力といえます。
昭和55年(1980)に、成城学園の国語科・国文学科教員による研究会は、大学院生・学部学生を含む学会「成城国文学会」に改組されました。現在は、秋に年度大会を開催し、学部学生、大学院生、卒業生、現役教員と退職教員が、国語国文学研究を通じて交流しています。
国文学科は、時代に合わせて常に教育の工夫を重ねながらも、成城らしい開かれた雰囲気の中で、旧制高校時代からの伝統を受け受け継ぎ、変わらぬ精神を守り続けています。

- 国文学科略年表 -

1958年(昭和33年)4月 成城大学文芸学部文芸学科の中に国文コースを開設
1976年(昭和51年)4月 コース制廃止、学科制へ移行。文芸学部に「国文学科」を増設